親友がしぬという。
結婚した数ヶ月後に癌が発覚して、手術をして成功してリハビリして少しづつ生活を取り戻していった矢先、術後3ヵ月で再発。いきるための言葉をようやく聞くようになったというのに、1年以内の死の宣告。 彼女が、副作用のある抗ガン剤もやめて覚悟を決めたのを見て、泣くに泣けない、とおもった。彼女から死にまつわる言葉を聞いたのは初めてではない。13年前のあの夜も、あなたは死ぬことを選んだと言ったね。わたしはまだこどもで、ぼろぼろと泣けてきて、あなたを戸惑わせてしまった。一度はあなたの選択を受け入れねばと思ったけれど、最後の最後で足掻いた。周りのおとなの力もあって、あなたは死ななかった。(あの時、腕力も必要なのだと実感したはじめての瞬間。苦手だった男の先生を、尊敬した瞬間) その結果を、わたしはしばらくの間、エゴであなたを引きとめてしまったのだろうかと自身に問い続けたけれど、今では、エゴであっていいのだ、なぜならわたしたちはそれでしかやり取りができないのだから、と納得をしたのだ。そうして、あれから幾年も流れて、あなたは生きることを選び取るようになったというのに。今度は、自分の意思でなく時間の区切りが来てしまうというのか。 もう、あの頃のようには泣けない。あなたがその選択をするまでに、どれだけくるしんだかを思えば。もしあなたの前で泣いたら、あなたはわたしを気遣うのだろう。そんなのはほしくない。 ただ、あなたに生きて幸せであってほしい。 わたしが何気なく発したひとことに、うれしいと返してもらえたことがうれしい。喜ばせようと意図したことばではなく、どう伝えよう、こう伝えようとおもって選びとったことばにあなたの「うれしい」をつけてもらえた。「うれしい」が、伝染していく。こんなやりとりがあるから、しあわせなんだね?誰かと心を通わすなんていうのはなにもむずかしい話じゃなく、こういうちいさな瞬間の積み重ねだったのかもしれない。
ねぇ、ただ最初から見ていなかっただけでさ。 ここ最近あった誰の引退(首相とか、お笑いのひととか)よりも、もっとも引退が衝撃的だったひと。
その人が死んだ。 キャンディーカラーでまるい容姿の機械にわくわくしたこどものころ。 (それまでの無愛想でグレーな彼らといったら。) あの見た目がなかったら、きっとパソコンをほしいなんて思わなかった。 タッチ式の革新的なUIに胸をうちぬかれた数年前。 ボタンがひとつしかないシンプルさ。 画面に触れてすべてが完結する。 何だろう、この新しい未来は? そう、確実にいままでと違うものに足を踏み入れた感覚。 ビジネスが生活を変化させる。 生き方を変えさせる。 そして、世界の風景を変えられる。 なにがでてくるんだろ、ってわくわくするあの感覚。 でももう、あのひとのマジックはきっと見れない。それが、とても残念でならない。 ほしいものをすべて、てにいれるんだと突っ走って足掻いて、急になにもない空間に放り出されたみたいにからだがとまる。
舞台は水物で、次はないからと、次はちがうものでしかないからといまをがむしゃらに手に入れようとして、突如エンストする。 そんなことの繰り返しなのかもしれない。 わたしには、音楽と舞台、がすべてで、けれどそこを職業に選択しなかった瞬間から、必然的にそこに費やすことができる時間はみじかくなった。7分の2、の内のさらにいくらかの時間だけ。 たぶん、次の季節がめぐるころにはもっと時間はみじかくなっている。これはあせりなのだろうか。まるで余命がすくないみたいに、必死になっている。いましかないのだと。残されたじかんはみじかいのだと。そうしてとっくに許容量オーバーなことをしりながらも、それらを必死に成功させようとしている。わたしは愚かだ、しかしそんなことはしっている。 ねぇ、結局のところわたしの考える余命までに、すべての血と汗と、多くの痛みを注ぎ込むしかないのだよ。 ヨハネ受難曲とバレエ、いま駆け抜けようとするわたしの目的地
ドイツで活躍されているバリトン歌手と、コレペティトゥアとして活躍されているピアニストのリサイタル。
====== ◆小森輝彦・服部容子 デュオ・リサイタル Vol.7 2011年 8月6日(土)13:30開場 14:00開演 @東京文化会館小ホール ◎歌曲とピアノソロ◎ H.ヴォルフ メーリケ歌曲集より M.ラヴェル 道化師の朝の歌 S.プロコフィエフ バレエ「ロミオとジュリエット」からの10の小品より 第四番「少女ジュリエット」 第六番「モンタギュー家とキャピュレット家」 ◎東欧のオペラのアリア◎ P.I.チャイコフスキー作曲『スペードの女王』より イェレツキー侯爵のアリア L.ヤナーチェク作曲『利口な女狐の物語』より 森番のアリア E.W.コルンゴルト作曲『死の都市』より ピエロのアリア R.ワーグナー作曲『さまよえるオランダ人』より オランダ人のアリア ====== ひさしぶりにヴォルフの歌曲。物語の展開が目に浮かぶような歌いっぷり、美しいドイツ語にほれぼれ。「こうのとりの使い」と「火の騎士」がすきでした。「火の騎士」の最期、"Ruhe wohl"(安らかに眠れ)ということばが耳に残っている。ヨハネ受難曲のNo.39の出だし"Ruht wohl"という歌詞を思い出した。 また、最後の『さまよえるオランダ人』のアリアは、すさまじく圧倒される空気、そこがもうオペラの舞台と信じて疑わないほど。とにかくすばらしかった。オペラ全幕のなかでこの方の歌を聴きたい、そう強くおもいました。 ピアノもラヴェルのソロは流麗で気持ちがいい。オペラアリアも、伴奏がしっかりと情景を描き出していてよかったです。 アンコール1曲目は意外にも日本語曲、 谷川俊太郎作詞、武満徹作曲『死んだ男の残したものは』。 「今日が日本にとって重要な意味のある日」、というのを仰っていて、はっとさせられました。今日は8/6、そうです。彼の声でこの曲が歌われ、まるで地の底から人のくるしみ、想いが溢れて聴こえてくるようでした。 そしてほんとうの最後に、シューベルトの『An die Musik(音楽に寄せて)』を。すこしほ、っとした空気で終わりましたが、やはり『死んだ男の残したものは』の印象がからだに深く刻まれています。 さて、この小森さんという方は日本人で唯一、ドイツ宮廷歌手(Kammersänger)の称号を授与された方です。しかしドイツを中心に活動されているためか、日本での知名度はまだ、というところのよう。今年は7月に兵庫で「こうもり」に出演なさったらしいのですが…ぜひ日本で(できれば関東圏で)『さまよえるオランダ人』にタイトル・ロールで出演してほしい。いや、他のオペラでもよいので、関東圏でぜひ…聴きにいきます! プロの器楽奏者によるアンサンブル。
===== 第14回フィルハーモニーカンマーアンサンブルコンサート 2011/8/2(火)19時開演 @東京オペラシティリサイタルホール バッハ カンタータ第64番 見よ、父の我らに賜いし愛の ハイドン 『十字架上の7つの言葉』(室内楽オラトリオ) 声楽: 藤崎美苗、青木洋也、石川洋人、篠部信宏 器楽: 青木高志、宮川正雪、栃本三津子、渡辺美穂、曽和万里子、坂本晴人、黒川正三(主宰)、小笠原茅乃、黒川文子、佐竹正史 ===== 去年(第11回2010/8/26)、聴きに行きたくて行けなかった団体の演奏を聴いてきました。 まず気に入ったのはパンフだと言ったらおこられるでしょうか。解説等が載ったパンフレットと歌詞カードは別紙になっていて、歌詞カードはまさにCDのそれのよう。デザインもチラシから取っていてぐっとくる。こんなふうに作ってみたいが2冊に分けるとふつうはコスト上がるんですよね…。うん、ここの団体なにが気になったって、まずはチラシのデザインとロゴが好みだったのですよ。HPは案外ざっくりしていて意外でしたが。ま、チラシのデザイナーがHPを手がけるわけではないだろうから、仕方ないのだろう。もったい気がするけれど。 さてバッハのBWV64はいちど歌ったことのある曲で、自パートとソリスト曲くらいはすみずみまでおぼえているせいなのか、モダン楽器だから違和感があるのか?よくわからないけれどあまりしっくりこなかったのは残念。ホールのせいなのか、オケはよく響くのに歌があまり飛んでこない。ただ、アルトのアリアとデュエットするオーボエ・ダモーレにはほれぼれした。 しかし奏者にとって本題というか本命はハイドンのほうらしいのでと気を取り直していると、『十字架上の7つの言葉』はけっこうよかった。ハイドンは特にすきでもきらいでもないが(誤解なきよう付け加えますがバッハが好きすぎるのです、私は)、これはけっこうすきだったとおもう。この曲は編成が管弦楽版、オラトリオ版といろんなバージョンであるらしく、今回は弦楽合奏+オラトリオ(ソロ)用に編成しなおしたらしい。 思い入れの深さの違いか?序奏からオケは迷いなくよく鳴っているし、歌も最初の先唱のような部分がとてもうつくしいし変化があってたのしい。 自分で歌いたい種類ではないけれど、これ、母校で来年の曲目にしたらどうだろうかと勝手におもってしまう。オラトリオ版で。どうです、マエストロ?曲の難易度的にはどうだろうか…ソプラノやテノールがあの音域をうつくしく表現できるかどうか。おまけにカップリングはどうするんだというおおきな問題もあるが。とりあえず帰ったらオラトリオ版をさがして聴いてみようとこころに誓った。 というわけで、ハイドンの『十字架上の7つの言葉』という作品に出会えてとても有意義な時間だった。コンサートは、こうやってしらない曲に出会えたりするから、すきなのです。 数日前の帰り道、幾年ぶりかに、流れ星をみつけました。
口を付いて出たのは「あ」という母音だけ。いまのは流れ星だろうか、たしかに流れ星であった。そうおもっただけの、「あ」。願いごとを思い浮かべるまもなく、消えていったひとすじのライン。箒の尾。 なにごとも祈ることはできなかったのに、なぜか、いいことが訪れるという予感がしました。この上なく珍しくポジティブで楽観的な想像。いつも否定から入る思考には考えられないこと。 きっとその想いがふっと浮かんだことこそが、もっともやさしい贈り物であったのです。 ![]() 柄にもなく、ブリザーブドフラワーの体験レッスンへ。ほんとうは母の日に間に合わせるつもりだったのですが、時間が取れず6月に。 はじめてなので講師の方が順を追って、お手本を示しながら教えてくれます。作業自体はお花にワイヤーを通したり、茎になるテープを巻いたりと、だれにでもできる単純なもの。完成度はどちらかというと本人の色彩センス次第ですが、体験コースは使えるお花が決まっているので大きな失敗はない気がします。 無心になにかをつくるというのはけっこうすきです。迷うのはやはり色の配置、どこにどのお花を持って行こうか。あててみて悩んだ結果、こうなりました。 うん、またやってみたいかも。しかしレッスンは1回5000から(今回は3000円)のところが多いのでそうそう通えません。材料を買い揃えてやってみようかしら?しかし揃えると結局6000円くらいは最低限でかかりそう…同じくらいのものが4つは作れそうですが。そんなに誰にあげるか、というのもありますねぇ。 こんなことにうつつを抜かしていていいのかとつっこみつつ、今しか横道に逸れている時間もないのではとおもうのでした。
古楽というジャンルを認識するずっと以前から、チェンバロがすきです。きっかけはJ.S.Bachのゴルドベルク変奏曲。ピアノの音色に慣れ親しんでいたわたしには、チェンバロは細くきらきらした輝きを持って見えました。あこがれのあまりゴルドベルクを耳コピしてピアノで弾こうとし、なぜこんなにフラットの多い弾きにくい調で書いたのだろう…と呆然。ええ、その頃はチェンバロが古楽器だということも、当時のピッチが約半音低いということも、なにも知らなかったのです。楽器店で楽譜を手にとって、「あれ、ソ(G)からはじまってる…なぜCDは半音低いのだろう?」はてなマークが深くなったのは言うまでもありません。
といいつつも、いまだにチェンバロを弾いたことはないのです。ピアノのノリでチェンバロがほしい!とおもうも、とても値段が高いらしいということを耳にし、夢は夢にとどめることにしたのがずいぶん昔のこと。(小型のものであれば、多少値は下がるようですが。)ま、自分で調律などできないのでもともとむりな話なのですが、最近、ふとしたきっかけでクラヴィコードという楽器の存在を知りました。 チェンバロよりちいさく、しかし音色の表現は豊か。可搬性にすぐれ、調律の持ちがよい…。これって、もしかしてもしかするとすごく理想的なのでは? そう思い、YouTubeで音色を聴いてみることに。チェンバロよりやややわらかくややピアノに近い要素を含むようなこの響き…すきです。これだ!そうおもい調べてみると、組み立てキットが25万円。おお、自分で組み立てられるものなのか…しかし実際の作業風景を見て断念。(不器用なのです。) 販売はあまり多くないようで、楽器製作者の方から購入するしかないらしい。そりゃそうか、普通に流通するほど需要があるものじゃないのでしょうから。いろいろ調べてみると、100万を超えるものがほとんどですが、下は70万円くらいからもある模様…またこちらには、製作中であるものの60万円台も検討中とのこと。少し現実味のある数字? しかしチェンバロと同様、自分で調律しなければならないことに変わりはありません。最大の難関。調律法もWebに多少載っているようですが、各弦を同時に鳴らしたときのうなりの回数を聞くとのこと…うなりの回数って。そんなことできるのか。無理な気がしてきましたよ。おおっと。 しばらくは、悩ましくもたのしい日々がつづきそうです。
日付が変わるのを電車の中で迎え、降り立った駅から向かうのは深夜営業のコンビニ。そんなときに店員さんの応対に期待するひとは稀だろう。買いたい物が手に入りさえすれば十分ありがたい。いらっしゃいませの挨拶や接客の笑顔をいちいち求めるものもいない。お客は疲労でくたくた、迎える側は長い夜勤に備えて最低限の省エネモード。朝のように鬼のごとく急ぐ客もなく、気力もなく、泥濘の平穏。
それが日常だった。 あの日も同じように向かった同じコンビニ。明日のための食パンを購入し、レジにいたのはいつもと違うひとだった。いや、いつも個を識別可能な程度に注視したりはしていなかったから、「いつものひと」が何人くらいいるのか、わからない。けれどそのひとはたしかに、「いつもと違うひと」という認識をたやすくさせてくれたのだ。 たぶん、ホスピタリティとかCS(=Customer Satisfaction、顧客満足)とか、むやみにカタカナになりなんだかわからなくなってしまったものの対極にあったようにおもう。相手のこころによりそう会話。決して過剰でない、心地好い丁寧さ。 それは、疲れでささくれだったこころに涼をくれる、わたしのひそかなたのしみになったのだ。
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